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飾花の会 栗崎昇先生に学んだ一期一会

今年最後の飾花の会に行ってきました。場所は廣誠院。ここに来るのはもう何度目になるだろうか。

かつてここは長く手付かずの廃屋に近い状態のところを栗崎先生はじめ飾花の会が使うようになりみるみる息を吹き返したお屋敷。

飾花の会に入って5年は経つだろうか。僕にとっては後にも先にもこれほどの授業はない、栗崎昇先生の感性、表現、心遣い、ユーモアを凝縮して学べる時間。茶道でも華道でも本質の部分において本来教科書もなければ口伝もない。師匠が見せ弟子が感じ取れるかどうかだけだと思う。この会に出会えたことに僕は本当に感謝してもしきれない。そんな思いで門をくぐって中に入った。

ウメモドキにガマズミの残り花。花が散り実になる、花も美しいけど実も美しい。いつか実も散り新しい芽が出ると言わんばかりの先生からのメッセージ。そしてお庭に目をやると

紅葉を待つ庭には花もない。あえてそこに菊玉をあしらってある。遠くにある菊玉。去りゆく九月の名残咲。和の中に置かれた洋のブロンズとギリシャ彫刻がまさにとらわれない栗崎昇先生の感性。

何度も見ているこの庭に、何度も見ている菊玉。だけど初めて。まさにこれぞ一期一会。今日やっと先生が教えてくれていたことがわかった気がした。そしてとこに目をやると

トカゲにカエルに蛇が柘榴の下で達磨に睨まれ固まっている様子は実に滑稽。なんの流派でもない栗崎先生の遊び。それでもどことなく美しい。

脇どこには

先生の好きなアダムとイブのようなブロンズ。そこにあるのは辛夷の実。秋は実りの季節。紅葉で表現したりもするけど、実で表現するのが栗崎先生流。花と実を活けることでときの移り変わりに気が付かせてくれる。

いろんな会話をさせてくれる設え。先生と会話をしているかのような気になって、奥のお茶室に行くと

大綱和尚の『一人在日下』なんとも正に人生はやっぱり一人なんです。どんなに悩んでも、どんなに喜んでも人生は一人なんです。その足元に稲束の一重切に吹上菊一輪。秋の表千家の設え。名残の秋です。浜菊を吹上菊というのは表千家は江岑宗左以来、紀州徳川家の茶頭であり、吹上は紀州の地名に由来するとのこと。ちなみに裏千家は加賀藩前田家であり、武者小路千家は高松藩松平家。

栗崎先生の設えは自由の中にもちゃんと表千家が入っている。そこに表現力の違いがある気がする。ただ何もなく自由にするのとは全く違う。数寄者は守破離があってはじめて数寄者なのだと思います。この菊は栗崎先生自身を写しているように思いました。

奥の間にはヤマシャクヤク。と花寄せ屏風。

野竹

松村草

群千鳥と桔梗

あえて少なめの花屏風。秋ですから。

しっかり今日のレッスンを楽しんだあとはたん熊の栗栖さんのお計らいで日曜はお休みの嘯月に特別注文。

本日は栗蒸し羊羹。お抹茶と一緒に頂け本当に有り難ひととき。

飾花の会は、本当に多くの素晴らしい方々が栗崎先生を支え共鳴し創り上げてみえた事に敬服と感謝の心でいっぱいです。

次の世代として本当に素晴らしいものを残して頂いたように思います。

会の後に寄り道した古田織部美術館で

細川護煕さんが話された『後世に残せるものは文化のみ』という言葉が今日の一日を正に言い得て妙。

 

 

 

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